ソウルフルコラム

13年目からの新境地  2018/5/7

GW休暇も明けて授業が再開されるが、それと同時にDスタジオは12周年を迎えました。

ここまで続いたのも、生徒さん,保護者の方はじめ,応援してくださる全ての皆様のおかげです。

本当にありがとうございました。

つい先日ある中学校の前を通りかかろうとしたとき、掲示板にこんなことが書かれていました。

昨日も一日多忙であった

そのおかげで昨日はよく眠れた

充分眠れたので

今日の目覚めは気持ちいい

だから、今日も明日も多忙であってほしい

これは一日を一生懸命過ごしたもののみが

体験する喜びである

これは学校にある学生向けのメッセージというよりも

そこを通りかかる人が、足を止めてグッと受け止める、全ての人へのエールのように思えた。

会社を辞め、独立して12年。

不安もあったが、ただただ前を向いて子どもを応援していた私にとってこのエールは結構効いた。

これからは12年やって来たキャリアのみにふんずりかえらずに、

広い視野で応援できる人材になろうとしてみる。

それで毎日バタバタ忙しくして、

毎日ぐっすり眠れれば、それでいい。


憧れ 2016/4/9

タイトルは綺麗だが、またいつもの論調・・・

桃田というバトミントン選手が賭博で騒ぎを起こしたが、それ以前にこんなことをほざいていたらしい。

「僕が派手な生活をして、子どもたちが憧れてくれればいい。見本になりたい。」

ちなみに私は、うちの塾生を派手な生活に憧れる子どもの感性に育てたくない。

「派手な生活」は人を喜ばせるか? 

なんだこのちゃらい奴は?と不快にさせるだけだが。

これからもそんなものにあこがれてほしくない。

苦しみながら一日一日何とか生きている人に希望や勇気を与えるとか、

そういう心に響くことを言える人間に憧れてほしい。

「感性を磨く」ことは塾として、本来はしなくてもいいことかもしれないが、

学びの吸収する姿勢自体がそれを研磨していく作業だと私は思っている。

子どもの成長が曲がらないように毎日見届けています。


評論家評論家  2015/7/8

変なタイトルだが、いたって真面目な話です。

ちょっと教育評論家に対して物申したい。

評論家って仕事は好き勝手な持論を展開する仕事だと思っているので、別に「こいつまた言ってらあ」位に捉えておけばいいのだが、

教育評論家の女々しい言葉づかいをする『あるオッサン』は自分が正解だと確信できるものに対して「許せない!」といって誰でもそう捉えるであろう考えで、ここぞとばかり強く非難する。

普通の正義感なら誰でもそう思うことをただ声を大に言っているのだ。

岩手の中2生が自殺した痛ましい事件は、教育に携わる人間としては絶対あってはならないことだと思うが、「学校の体をなしていない」「担任の見殺しも同然」など我々が思う怒りと同じなのである。

同じように「怒る」,「批判する」は誰でもできる。ということ。

まず思うのは、評論家として随分と大きいことを言っているが、それが正解だと言い切る前に”自分のスタンスとしては”と付け加えるべきである。私からしてみたら特にいじめに対しての考え方は「はあ」と思うくらいあまったるいと思うし、子ども達が違う親から生まれてくる訳だから、方針はそれぞれ。教育評論家が絶対で俺が教科書だなんて思っていなるのなら、独りよがりも甚だしい。

いじめられる人,いじめるやつ。評論家を名乗るなら、教育現場だけのせいにして、テレビやメディアでコメントするだけでなく、自分でも直接対峙して行動してください。(いじめてるやつに取材でもして直接男の声で怒ってみろよ!そんなフニャフニャした変なキャラでいじめと戦っている子を救えますか?)

夜回り水谷先生みたいに直接街をうろついている若者と直接真っ向から話すことが、本当の教育と向き合っていることだと思いますが。

評論なんて誰だって出来ます。評論家を評論すると、こんな風になって「評論家評論家」になります。


人のために生きること  2015/5/7

タイトルはきれいだが、今からボロクソ書く。

品がないとか関係ない。

政治家よりはマシだ。

また奈良県で市議会議員が公費でコース料理とか何とか・・・。

もうお前ら全員いらん。市議会議員なんかいらん。何年繰り返してる!ドアホ!

決して過激でやけくそで言っているんではない。いたって常識的な見解だ。

仕事を市民のニーズに応えていますと胸を張れる議員がどれだけいる?

近年の各県地方議会での不祥事に対して断じて許さない!!と市民サイドの気持ちになって怒って腐敗した隠ぺい体質を真っ向から戦っている議員はいるのか!

我々大和市(こんな小さい市)に28人も市議会議員がいる意味は何だ!

議員を端から並べて、今日の仕事内容の報告「終礼」をさせたいね。

「お前今日、市民の為に何した!」って。

あらゆる政治家が、金がらみの“ふしだらさ”が目に余るのに職は辞めない。

こいつらは議員になるために議員になっているのだ。

自己犠牲の気持ち(人の為に生きる慈悲)のかけらも感じられない。

ふんずりかえって先生って呼ばれて結果が決まっている「お約束プロレス」みたいな地方議会を台本通りやっている。我々の税金で。何の役にも立ってない多勢に無勢。

議員・政治家って市民一人一人に耳を傾けて、人の為に生きていくのが筋なんじゃないのか?

票だけ入れてもらって、たかが2000票くらいで何の認知度もないぞ。

横に並んで、これから大和市に何してくれるか言ってみろ!

私利私欲の為に議員にしがみついている奴ら、退け!失せろ!

偉そうなことを言うつもりはないが、私は子供たちの将来の成長のお手伝いを

微力ながらさせていただいている。

人の為に生きることにやりがいを感じる。それが生きがいなのだ。

議員さんよ。子どもの目を真剣に見て何が言える?

Dスタの子ども達も「何でこんなに議員さんいるのに何も変わらないんですか?」

って言ってたぞ!

この子達は正しい目を持って成長している。


学級崩壊政治  2014/12/15

コラムの更新が久しぶりで、且つ何とも過激なタイトルからなのでドキッとしたかもしれませんが、まあ何とも憤懣やるかたない思いをたまには書こうと思い・・・。

我が塾「Dスタジオ」の子どもたちは間もなく中学入試を控え、授業中は講師の一挙手一投足を目を離さずに最大限の集中力を発揮してベストを尽くしている。

で何が言いたいのかというと

昨日の衆院選の投票率(小選挙区)が戦後最低の52・66%だったということで、塾の授業でいうと「政治」の授業を52%しか参加していない、即ち教室の後ろ半分の席は殆ど話も聞かず、授業をやっている講師も前の人にしか話しをしていない、いわゆる『学級崩壊状態』だと私は思う。

後ろの国民は聞いていなくても、淡々と前の人の為だけに授業をやっているような政治。

そのボンクラ講師みたいに選挙の遊説では全く相手にされない立候補者。まさしく出席カードだけをもらって、カードを出して生徒が空っぽになっても見て見ぬふりしながら淡々と講義をしている情熱の欠片もない“カラ授業”と酷似していないか。

これは授業を聞かない(選挙に行かない,政治に関心がない)方がいけないのではない。

聞かせるような授業をしていない(選挙に行きたくなるような求心力のある政治家がいない)のである。

不人気講師だらけの予備校の中から授業を選べと言っても期待しようがない。52%も仕方なく授業に期待もせず、仕方なく受けているのである。

ちなみに無効票は何のためにあるか。「該当者なし」という意志表示をしたいが欄がなくて仕方なく“無言の抵抗”が無効票なのである。

政治家を選ぶことが政治に参加することなのではなく、「誰も適している人がいない」という意志を示すという参加の仕方をいつまでも古い法のせいとかにしないで、いい加減認めたらどうなんだ。

「該当者なし」欄をつくって、「推薦者欄」に自分にとってふさわしいと思う人の名前を書く。

その人は決まった人数基準を見たされれば、再度国民審査をする。

あと、もう一つ。金とか失言とか信頼を失速させたというか本性でボロが出ている政治家よ。

いつまでもしがみついているなんて、見苦しいぞ。

どうせ選挙を勝つためだけが目的の政治家がそんなに一票を入れてもらいたいなら、

人間としての正義感と信頼を勝ち得てからモノを言え。

それは選挙の時だけの偽善的な握手や清らかではないニヤリとした笑顔ではない。

“後ろの方の席に座っている国民”の気持ちを理解し、わかりやすく解説を汗かいてわかってもらうまでするんだよ!

選挙に行っていない人が半分いる選挙なんて、選挙ではない。

前半分しか参加してない授業なんて授業じゃない。

背を向けて教室を出ていく”無党派層”を振り向かせる正義感と熱さを持ち備えた人に日本政治を担ってほしい。


合格は数ではない  2014/5/7

先に言うが、私は塾の人間としては異質。それは合格に対してのこだわり。

そこに「数」はない。

『いかに成長して合格したか。』ということ。

だから、

学習塾同志が合格数を巡って、揉めているケースが神奈川と大阪で二つもあるが、本当に見苦しい。品格の欠片もない。デリカシーに欠ける。

以前は不合格者をよそ目に合格者の記念撮影をしていた塾もあったな。

空気読めない人間になれって言っているようなもの。

私はそこまで空気を読めない人間が優秀を気取っていることに、反吐が出る気持ち。

合格数なんてやろうと思えばいくらでもごまかせると思うが、教育に携わっている人間が

小賢しいことをしていることが情けない。

そんな数字だけで一喜一憂してに踊らされている人は哀れにさえ思う。

他にも塾の為に「合格してきてくれ」と不用意な学校を受けさせる塾とか実在するけど何なんだ?!

教育者を語る前に、その下世話な感覚を将来有望な受験生に背負わさないでほしい。

私と生徒でつくる合格は、そんな汚れたものではない。

大人が操作した醜いやり方をして、合格を語らないでほしい。

本当に独立して、自分らしい塾をつくって良かった。

これが、私の誇りだ。


自ら学ぶ意欲を持てる塾  2013/11/30

今日は、私の塾の生徒さんの素晴らしさを書きたい。

タイトルに書かれた「自ら学ぶ意欲」を生徒の皆さんが持っていることが、私の理想なのだが、

このところ保護者様との面談で皆さんから

「自分から何も言わないでも机に向かう」

「自分の意志で勉強を必要だと思ってやっている」

「こういう本を読みたいから、大きめの本屋さんに行って探したい」

など、今のところ全員が親に言われなくても自分で勉強する状態がつくれている。

これは凄いことだ。

頭が下がる。

私は素晴らしい生徒たちに守られている。ありがたい話である。

しかし、学習意欲が低い子はウチの塾はお断り!なってこのご時世で強気にしているわけでもない。

私が常に意識しているのは、自立していくことの美徳である。

例えば、宿題は提出形式にした方がいいかを考えさせた結果、「週1回提出する決まりがあった方が自分がだらしなくならない」という子どもの判断でルールを決めた。これは自分で決めた責任感を少し感じながら自らを奮い立たせる要因にもなる。

テスト答案を返却するときに全員に感想ではなく『総評』を言ってもらっている。これがまた具体的なのである。

「計算問題の見直しでフォローできたのは良かったけど、正答率50%以上のもので間違いがあるので、これはやり直しを家でする」なんてすばらしいコメントを言うのだ。

子どもたちは、こういうことの積み重ねで自分の成長を実感しているのである。

私は子どもたちのやる気は自立する過程で生まれると思っている。

どんな子でもそういう場面をつくることがこの塾では出来ると確信しています。

さあ、もうすぐ冬期講習。更なる成長を期待します。






D-Studio (少人数制中学受験専門塾)

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